マイカーが障害になる日。そのとき、どう動く?

「地方は車がないと不便」は本当?熊本での水害体験をきっかけに、災害時や老後に潜む車社会のリスクを考察。誰もが安心して移動できる未来のために、当たり前を見直し、持続可能な公共交通のあり方を問い直します。

マイカーが障害になる日。そのとき、どう動く?

今回のテーマは九州NOWでは、災害が浮き彫りにした、私たちの暮らしの足元にある脆さと、これからの時代の「豊かさ」についてです。

<目次>

📝九州NOW:泥だらけの国道と、空っぽのコンビニ棚

熊本は、白川や緑川をはじめ、多くの川に囲まれた水の都です。その豊かな地下水のおかげで、熊本市の水道水は100%地下水でまかなわれています。この良質な水を求めて、熊本にはサントリーのビール工場や、TSMCの半導体工場があるほどです。

しかし、その恵みと裏腹に、熊本は過去にも大きな水害を経験してきました。

そのため、我が家では「大雨が来そうだ」と分かれば、熊本市内の自宅から60キロ離れた天草の別宅へ避難することにしています。
今回もそうでした。ただ、今回は天草にもレベル5の避難指示が出されるほどの豪雨が降り注ぎました。

幸い、別宅周辺に被害はなく、「今回も何とかなった」と思ったのも束の間。雨が少し落ち着き、食料の買い出しのために国道へ出て、私は言葉を失いました。

アスファルトは泥に覆われ、山から転がり落ちてきた流木や、海から打ち上げられたゴミが、道の至る所に散らばっている。ところどころ冠水し、池のようになった場所も。そして、熊本市方面へと繋がる生命線である唯一の道は、がけ崩れで封鎖されていました。

開いている店を探して車を走らせても、スーパーは臨時休業。そうですよね。従業員だって、出勤できるはずがないのです。

唯一、営業していたコンビニに駆け込むと、店内にはレジを待つ人々の長い列が。そして、いつもなら商品が並んでいる棚は、まるでイナゴが通り過ぎた後のように、ほとんど空っぽでした。

この光景に、私は強い既視感を覚えました。 2011年3月11日。東日本大震災の直後、首都圏で見た光景と同じだったからです。