「海と山は、つながっとる」コロナ禍で、農家と漁師が結んだ生存同盟
「海と山は、つながっとる」コロナ禍で販路を絶たれた牡蠣漁師と、ミカン農家の夫が結んだ「生存同盟」。ネット販売での成功と、その後に突きつけられた気候変動の現実とは?脱サラ農家が直面した、地方で生き残ることの厳しさと希望の記録。
こんにちは。のりーです。
前回のリデザインドライフでは、五十肩や異常気象という危機に直面した夫が、海外のSaaS開発者とつながることで新たな可能性を模索し始めるまでのストーリーをお届けしました。
まるで「ミカン農家からテック業界へ」と一足飛びに進んだように見えたかもしれませんが、実はその間には、夫の仕事観を大きく変える、ある重要な出来事がありました。
それは、「自分のために磨いてきたスキルが、誰かの役に立つかもしれない」と気づいた瞬間です。
自分のミカンを売るために必死で身につけたネットショップの運営スキル。それが、予期せぬパンデミックの中で、窮地に立たされた隣人を救う手立てになる。 その経験が、後に夫が教育現場や海外SaaS企業へと活動の場を広げていく原動力となっています。
今回は少し時計の針を戻して、2020年。 世界中が不安に包まれていたあの春、天草の小さな集落で起きた「海と山の同盟」についてお話しします。
販路を失った牡蠣漁師と手を組んだ日
2020年5月。ゴールデンウィークだというのに、天草の道は静まり返っていた。 あのパンデミックが世界を覆い、国境は閉ざされ、県境を越える移動すら自粛が求められていた頃だ。
一方、私のミカン販売には、奇妙な現象が起きていた。人々が外出できなくなったことで「巣ごもり需要」が生まれ、ネットショップの注文はむしろ増えていたのだ。早くからEC(電子商取引)に取り組み、顧客リストを持っていたことが、まさかパンデミックという有事で「命綱」になるとは思ってもみなかった。
だが、すぐ隣を見渡せば、状況は深刻だった。 特に打撃を受けていたのが、地元の漁師たちだ。彼らの主な販路は、市場やレストラン、旅館などの宿泊施設。緊急事態宣言で飲食店が一斉に休業し、観光客が消えたことで、出荷先が「蒸発」してしまったのだ。
行き場を失った「海の宝」
その日、私は同じ集落に住む漁師、恵比須丸の原田さんのもとを訪ねた。彼は、うちの子どもの同級生のお父さんでもあり、以前から顔なじみの間柄だった。「地元の美味しいものでも食べて元気を出すか」と、個人的に岩牡蠣を買いに行ったのだ。
そこで見たのは、出荷されずに行き場を失った、大量の岩牡蠣だった。
彼は、天草の海で持続可能な漁業を模索していた。 年々漁獲高が減少する中、天然資源を獲り尽くすのではなく、育てる漁業(養殖)へ。地域の子どもたちに将来の選択肢を残すために、必死で挑戦していた若手漁師だ。 そんな彼の情熱の結晶が今、コロナという不可抗力によって、誰にも届かずに終わろうとしている。
「ネットで売るしかない。一緒に売ろう」
その言葉は、同情から出たものではなかった。 私のネットショップには、すでに「天草の美味しいものを知っている」お客さんがいる。そこに、この最高品質の岩牡蠣を紹介すれば、必ず喜んでもらえるはずだ。 私は彼に提案した。「うちの晩柑(晩春の柑橘)とセットで販売しないか」と。